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私の履歴書;内視鏡医としての歴史

更新日:2024年12月23日



JA廣島総合病院


私の2年間の初期研修は廣島総合病院で行いました。


廣島総合病院は手技教育と救急研修が充実した研修環境であり、非常に勉強になりました。特に廿日市を中心とする広島西部の医療圏の中核病院であったため、軽症の患者さんから重症の3次救急の患者さんまで幅広い救急対応を学ぶことができました。


また初めて消化器内視鏡を学んだのも廣島総合病院でした。消化器内科は合計4ヶ月研修させていただき、消化器診療の中でも腹部超音波や内視鏡の手技に関しては徹底的に鍛えられました。


研修の最後には胃カメラや大腸カメラについては指導医の立ち合いのもと、ほとんどの内容を完遂できる程になりました。そして消化器内科医になることを決意しました。


 

聖路加国際病院


消化器内科医になることを決意したものの、さらに内科全般を深く学びたいと考え、内科専門研修で長い歴史がある東京都中央区築地にある聖路加国際病院に内科後期レジデントとして入職しました。


聖路加国際病院では2年間で内科の各科をローテーションし、総合内科医としての基礎を築きました。集中治療室(ICU)の研修では週5日は病院に泊まり込み重症患者さんの管理にあたったため、非常に密度の濃い研修が行えました。(現在では働き方改革で問題がありますが) 


2年間の内科研修の後は3年間の消化器内科医としての専門研修を行いました。昼夜問わない救急からの問い合わせや、疲れ切るまで胃カメラ・大腸カメラや内視鏡治療に明け暮れた日々を通して、消化器内科医として非常に成長できました。


聖路加時代は徹底的に内視鏡診療の基礎を叩き込まれました。週1日が外来で、残りの週4日は内視鏡(胃カメラ・大腸カメラ・治療内視鏡)を担当し、年間1,500~2,000件の内視鏡を担当しておりました。そして毎年の課題として世界最大規模の学会であるアメリカの消化器病学会週間DDWで演題発表を積極的に行なっておりました。


その時の発表した憩室出血の研究はその後論文として発表し、その研究成果によってトロントへの臨床留学につながります。


 

St. Michael’s Hospital


聖路加在籍時にカナダのトロントに留学していた聖路加の先輩ドクターからのお話をきっかけにトロントにあるSt. Michael’s Hospitalに臨床留学する機会を得ました。カナダは病院の集約化が進み、St. Michael’s Hospitalはカナダ最大の内視鏡センターとしてオンタリオ州全域(日本より広い)から治療内視鏡が必要な患者さんがヘリコプターや飛行機を使い搬送されてきていました。


2年間の治療内視鏡フェロー時代は日々内視鏡を握り、治療が必要な患者さん診療をカナダ人指導医とともに行うことができ非常に充実した日々でした。一番カナダに臨床留学して良かったことは日々英語で最新の内視鏡治療を学べたことです。カナダでは日本では経験できない内視鏡処置も経験でき、内視鏡医としての手技の多様性を学べました。また医療システムが日本とカナダでは違うため、医療費や医療のアクセスの違いなど医療をいろいろな面から見つめ直すいい機会となりました。


トロントの内視鏡セクションの朝は早く、朝の7時半には内視鏡の準備が始まり、オンタリオ州全土から患者さんが搬送されてきます。カナダ人の指導医のもと英語で同意書を取得し、治療方針の議論を行い難易度の高い内視鏡治療を担当します。膵臓がん、胆管がん、急性膵炎合併症、総胆管結石症など他施設の医師が困難と判断した症例のみ担当することで、内視鏡のレベルが飛躍的に向上しました。


カナダ時代だけで特殊内視鏡治療を1,000件以上は担当しました。もちろん通常の胃カメラや大腸カメラもフェローの役割です。特にカナダ人の大腸カメラは日本人の大腸カメラと比較し、圧倒的に難易度が高く、苦労したことは良い思い出です。また大きいポリープの切除方法も欧米と日本ではメインの手技が違うため、日本と欧米のポリープ切除の良いとこ取りで学ぶことができました。


トロントでの最大のハイライトは日本ではほぼ経験できない内視鏡手技である胃の減量手術後の方の胆道系内視鏡であるEDGE(エッジ)を発表しました。その手技をビデオで学会誌に投稿し、またその手技の解説論文をTechnical reviewとして発表しました。世界中の多くの内視鏡医の手技の参考になったらと願っております。




 

倉敷中央病院


ご縁がありカナダから帰国後は倉敷中央病院に副医長として入職しました。胆膵チームの一員として膵臓がんや胆管がん、総胆管結石の患者さんの診療に従事してきました。


特に倉敷中央病院では今まで培ってきた内視鏡技術を後輩に教えることを主眼に、教育に力を入れてきました。今まで学んだことを伝えることで充実した日々を送っておりました。


一方、教育病院であるが故に、自分自身が内視鏡を握る機会が以前より少なくなり、自分自身の内視鏡のスキルを直接患者さんに提供したいという思いも強くなりました。医療者として次の内視鏡を育てることは重要な責務ですが、患者さんの目線からしたら一人前の内視鏡医に処置を担当して欲しいと思うと思います。


やはり自分自身が第一線に立ち、患者さんの思いに応えることが自分の求める医療と考え、専門医が内視鏡を提供する専門施設を設立することを決心しました。


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